貯金は安心という商品を買っている
貯金は【安心】という商品を買っていると聞いて納得しました。
何も買わずに貯め込んでいる訳ですが結果としてお金を他の事に何も使えない状況を考えると貯金という行為は安心という商品を購入しているに等しいなと。
保険や安心や安定という言葉には中毒性があって、つい頼ってしまったりすがってしまったりしますよね。
当たり前ですが保険会社が儲かるのも保険金を顧客に払う金額の方が圧倒的に少ないからです、つまり何となく安心感を得ているだけで実際には無意味です。でも沢山の人が保険に入ります。
安定という言葉に惑わされてしたくもない仕事を永遠にし続ける人も沢山います。
貯金も何かあった時に安心だからしています。いつ来るかもわからない、もしかしたら死ぬまで来ないかもしれないいつか、何かが起きた時の為にしてしまいます。
しかしそんな安心や保険を買う行為が自分の人生を窮屈にしてしまうんですよね。
他に出来たであろう経験すべてが出来なくなります、学びの機会も失います。
楽しかったであろう時間でさえ封印してしまうことになります。
そこまでして安心って欲しいものなのか、
なんやかやで何をしても食っていける生きていける今の日本で、
人生を窮屈にして蝕んでまで得る程の価値は【安心】という商品にはないです。
一年間で百万円貯金する代わりに特に何もない365日間を過ごすのと
一年間で百万円ぶん遊んで学んで経験して365日間を満喫すること
どっちが本当に自分の心が求めていることかと考えたら大半の人が本音の声は後者だと思うんですよね。
ただ前者には安心という特典がついてきます、何かあった時に使えるお金があるという安心を購入しています。
ただ本当に大変な何かが仮に起きるとしたら百万円あったとしてもスズメの涙ですし、それを使い切ったらまた安心感を購入する為に一年間嫌な我慢を強いられることになります。
これって負のスパイラルですよね、そもそも貯金なんて終わりがないからいつまでも我慢しないといけなくなってしまいます。
結局のところ目的のない、ただ安心を買うだけの貯金ってあまり意味がないなーと。
むしろ自分の人生を蝕んでいく行為だとさえ思います。
使わなかったお金を蓄積していった結果的に貯金ならば良いんでしょうが、貯金のための安心のための貯金は勿体ないなーと思います。
安心を買うためにお金を使う(使わない)のではなく
人生のパフォーマンスを上げるためにお金を使いたいですね。
楽しまないと幸せを沢山感じないとたった一度の人生が勿体無いので
今をガチで生きる!